ネオ天草のジャンプ感想日記

ジャンプ感想を主に書いています。

フラクタル 第2話 「ネッサ」

2話でかなり惹きつけられました。 「しからみ」「絆」「生の触れあい」「家(家族)」がテーマでしょうね。まあそれは1話でも感じられたことではありますが。 冒頭、「僧院」での騒ぎ。 フリュネはやはり脱走者で、しかもまだ発覚していなかったのですね。 では、あの3バカは僧院より早く嗅ぎつけてフリュネを追いかけていたのか。どういう経緯だったんでしょう。 尼さん達がフリュネ「様」と呼んでいるということは、彼女は僧院でも上位に位置するんですね。 「巫女」というのが特別な役職なのかもしれません。 お偉いさんらしきあの女性は僧院のトップでしょうか。 僧院はこの世界の支配者側のようなので、今の体制を壊すという方向に話が向かうなら、この人が敵になるんでしょうかね。 1話で分かっていたことですが、ネッサも浮世離れしてますね。いや、無邪気と言うべきか。 クレインの言うように、フリュネもかなり変でしたが、ネッサはそれ以上です。 ネッサは人間には触れないドッペルに触れるようです。そのことでクラインや両親が彼女をドッペルだと認識していたので、ドッペルはドッペルに触れるようですが。 クラインはネッサに触れましたが、触れなくなった時もあったので彼女は人間ではないようですね。でもドッペルでもない? 世界の鍵? そもそもドッペルってどういう仕組みなんでしょうか。 機械からホログラムを出してるようではないですね。網膜に映している訳でもない。 となると、脳内にチップか何かが埋め込まれていて、それがドッペルを見せたり消したりしてるのかな。そこにドッペルがいるかのように錯覚しているという。 クラインなどの人間のデータが取られているということは、情報を蓄積し、送信する何かが体内にあるということでしょうし。 あ、でもリモコンみたいなので消していましたね。 クラインはあれを両親のドッペルに向けていましたが、実は本人の脳内を切り替える物だったり? もしくは、この世界自体が仮想現実か。それこそマトリックスのように。 ドッペルの設定はまだよく分かりませんね。 働くこともドッペルがやってくれているらしいですが、その間に持ち主の人間は何をやっているのでしょう。 最初ドッペルはリモートで動かしているのだと思っていたのですが、もしかしてオートなのかな。 遠隔操作では、本人が働いているのと変わりませんしね。 「僧院」が集めたデータから、その人物の人格をドッペルにコピーしている? 本体はただ眠ったような状態になっていて(キャンピングカーの所でヘッドホンしていた人のように)、ドッペルが見聞きしたことや、あるいは「記憶」したことが、自動で本体にも送られる、みたいな。 しかし、それなら別に本体が移動する必要がないよなあ。本体が動けないのならどこにいても同じだし。 ああ、でも別に本体が眠っている必要はないのか。 本体と、人格がコピーされたドッペルはそれぞれ別個に動いていて、後で記憶を共有し合う、という感じかな。 ヘッドホンの人とマトリックスのイメージで、本体は眠っている、決めつけていました。 人間が移動するのは、『星(バルーン)』が落ちるということが関係しているようです。 落ちた星を拾うんでしょうか。それで何らかの利益を得られるのか。 クレインはネッカの笑顔を怖がりました。 あれはネッカの表情が作り物だからかと最初は思ったのですが、他人の「笑顔」に慣れていなかったから、ということですかね。 ここはちょっと分かりづらかったです。正直、クレインが怖がった時に「たしかに恐いな。作り物みたいで」と思ってしまったので。 フリュネの笑顔はいいのか、という話になりますし。 ネッカを怖がってしまったクレインは彼女に触れなくなってしまいました。これは何故でしょうか。 「彼女を受け入れること」が触れるようになる条件? この辺はまだ分かりませんね。 クラインの両親(この世界の多くの人々)は、「自由」を求め、縛られることを嫌います。 家族が一緒に暮らすことを「自立してないこと」と言う彼らにとって、家族とは悪しき「しがらみ」なのでしょうか。 我が子を心配する時点で、我が子に「縛られて」いますけどね。 そんな両親に反発したクラインは、自分のことを「家」と呼んだネッカのもとへ走りました。 彼もまた「家」を、「帰る場所」を求めた人間ですからね。 「絆」や「しがらみ」、あるいは「帰属」というものは大事です。 面倒だと感じる時があっても、そういうものこそが拠り所となり、心を律してくれるのだと思います。 道を踏み外しそうになった時、物事を投げ出したくなった時なども、 「あの人に迷惑がかかる」「あの人はどう思うだろう」という考えが頭を過ぎれば、踏みとどまることができるかもしれません。 それが「しがらみ」や「繋がり」というものでしょうね。 旧ソ連の政策で、「家庭」の破壊を目指し、子供達を「国家・社会」で育てることが進められた時があったそうです。 離婚も推奨され、家族は別々の名字を名乗り、「家族の絆」は旧時代の遺物とされました。 人々は共同食堂でご飯を食べ、家事も専門の職業の人間がやるものでした。 結果、青少年による凶悪犯罪が激増し、治安は極度に悪化したそうです。 「家族の愛情」というものを受けられなかった青少年たちはあらゆる悪事を行い、社会不安を招いたと。 「家庭」や「家族」が、人々の心をは育むうえでいかに重要かが分かるエピソードだと思います。 クレインも本当の両親との家庭を手に入れられる日がくるのでしょうか。 さて、フリュネを追っていた3バカと「兄貴」は、どうもフラクタル体制に刃向かう「レジスタンス」となりそうな様子です。 いずれはクラインも彼らと協力する展開になるのかな。