ネオ天草のジャンプ感想日記

ジャンプ感想を主に書いています。

大河ドラマ『いだてん』 第46話『炎のランナー』を見てダメだなあ……と思った話

 最終話直前になってクサすのもどうかってのはあるけど。

【釈明】

 先に言っておくと、私はこの作品を気に入っている。

 総合的に見ると、ここ数年では真田丸に次ぐくらいの面白さだったとは思う。

 ただ、どうにも駄目だなあ、と感じる部分が度々あり、それは今回の46話で顕著に表れたので書き殴っておきたい。

 

【聖火】

 マーちゃんこと田畑政治は、「原爆被害の日に広島で生まれたから」という理由で坂井義則を最終聖火ランナーに選んだ。

 また、同じく彼は米軍の占領下にある沖縄で日章旗を掲げるよう指示した。

 

 どちらも、その行為自体は真っ当なものだと思う。

 聖火リレーを使って原爆による大量虐殺を強調するのも、沖縄で日章旗を掲げるのも、大義がある。

 正当な行いと言えるだろう。

 

【五輪の政治利用】

 しかしながら、それらは言い訳のしようもなく、明白なオリンピックの政治利用に他ならない。

 

 一方で田畑は、政治家が東京五輪を利用して経済成長へ繋げることを散々否定してきた。

 高橋是清に金の工面を持ちかけたことがそもそもの誤りの始まりだったと気付いた様子が、つい最近描かれたばかりだ。

 

 にも関わらず、である。

 あれだけオリンピックを政治利用しようとした面々をボロクソに言っておきながら、自分自身はオリンピックを通して自己の政治的主張を押し出そうとしているのだ。

 この欺瞞に作中で言及しなければ嘘であろう。

 

 陸上選手でありながら自身の成績とは無関係のところで、大人達の勝手な政治的思惑によって最終聖火ランナーに選ばれた坂井選手の鬱屈が描かれた点は良かったと思う。

 だが、マーちゃんが自身のその判断を悔やむ様子は全く無かった。

 単に坂井選手がナーバスになっただけだと、むしろ原因を選手に押し付けていたのである。

 

【矛盾】

 結局の所、オリンピックを政治から切り離すことなど不可能なのだ。

 マーちゃん自身がそれを証明してしまっている。

 

 彼のその「オリンピックの政治利用」が間違っているとは思わない。

 むしろ正しい行いと言えるだろう。

 しかし、だとすれば、今度は逆に田畑の「オリンピックの政治利用に対する過剰な反感」こそが偏った見方だったのだと作中で触れなければ、単なる矛盾で終わってしまう。

 

 現状、この『いだてん』で描かれた田畑政治という男は、自分はオリンピックを政治利用しておきながら、意に沿わない相手に対しては「オリンピックと政治は別けるべき」なる詭弁を弄し攻撃する、最低の卑怯者にしかなっていない。

 

【クドカンの意図】

 思うにこれは、脚本の宮藤官九郎が政治から離れることを意識するあまり犯した失敗なのだろう。

 このご時世で五輪を主題にした大河ドラマを作る時点で、「オリンピックを盛り上げたい政府のプロパガンダ」「官製ドラマ」といったイメージはどうしてもついて回る。

 実際、そのような批判はネット上でもよく見かけたし、私の地元紙でコラムを書いているバカな評論家なども「プロパガンダっぽくて嫌で見て無い」などと述べていた。、

 

 それだけに、クドカンや制作陣は「いかにして政治色を消すか」で苦心したのだとは思う。

 ところが、それが裏目に出た。

 「原爆被害を聖火リレーで強調し、米軍占領下の沖縄で日章旗を掲げる」という明らかな政治的意図を実現させた主人公と、「オリンピックと政治は別」と強調したいスタッフの企図が衝突してしまったのだ。

 

 結果、46話はただただ矛盾が発生しただけの回で終わっている。

 しきりに政治から離れようと足掻いたせいで、逆に政治に囚われてしまったわけである。

 

 本来であればクドカンや制作陣は一部の愚か者からの「政治との近さに対する批判」など意に介すべきではなかった。

 そして、田畑政治が「いかに素晴らしく五輪を政治利用したか」をこそ描けば良かったのだ。

 

 まだ最終話が残っているから、最後の最後でどんでん返しされる可能性も無いではないが、さすがに望み薄だろう。