ネオ天草のジャンプ感想日記

ジャンプ感想を主に書いています。

「日本はクリエイターに金を出さない国だ」という欺瞞

 もちろんこれは「日本はクリエイターに金を出す国だ」と言いたい訳ではない。

※以下、どうでもいい話注意
 「日本はクリエイターに金を出さない国である」

 ネットに日常的に触れている諸兄ならば、一度は耳にしたことのある言説ではないかと思う。
 
 私が聞いた中で言うと、大きくは「世界的にヒットした映画監督がろくな報酬が得られない」という話や、小さくは「我が子の同級生の母親から、無料で(自分が仕事としている)〇〇を作ってくれと言われた」といった告発もあった。

 この手の話の真偽は別として、日本がクリエイティブな仕事に対して、まともな報酬を払わない国であることは事実であろう。 

 ではなぜ、表題の様に、「クリエイターに金を出さない」という主張に異を唱えるのか。

 我が国が「クリエイターであろうとなかろうと、等しく金を出さない国である」からである。

 そもそも、私がこの記事を書こうと思い立ったのは、柳島英志@yanajima という同人作家がTwitterにて、


非クリエイターから生まれる、クリエイターに対する「タダでやってよ問題」の正体って
「給料とは、“苦労”に対する“我慢”に支払われるもの」

「クリエイターは好きなことでお金稼いで苦労なんてしてない」
という、二つの前提間違いが合体事故起こして産み出した魔物なんじゃないか、と考えてた。


 と書いているのを見かけたからだ。

 しかしながら、この主張は明らかに間違っている。
 何となれば、この社会では「苦労に対して我慢している」と誰もが見て明らかな労働に対しても、まともな報酬が払われていないからである。

 代表的なものが介護士だ。
 彼らは多くの場合、認知症に蝕まれたご老人を相手に、一日中「苦労」を強いられている。
 そしてまた、その「苦労」に対して、「我慢」しながら日々を過ごしているのだ。

 では、彼らの労働には「苦労に対する我慢」に相応しい報酬が支払われているだろうか?
 もちろん、違う。
 介護士の多くはせいぜい手取り12万程度の、そういった最低の給与しか得られていないのである。

 しかも、来年度からは政府の方針で更に介護報酬は削られ、益々介護士達は苦境に立たされることになる。


 また、最近ではようやく改善されつつあるが、アマゾン等の「送料無料」という考え方もについても同じことだ。
 これは文字通り、運送業界で日々過酷な肉体労働という『苦労』に対して、『我慢』しながら働いている労働者」に対して、相応の報酬を支払わないことを意味する。

 だが、多くの人間は、この歪んだシステムに対して罪悪感を抱いてこなかった。
 かくいう私も、何かを通販で頼む場合は、いかに送料がかからないようにするかに頭を悩ませてきた。

 
 お分かりだろう。
 日本人は確かにクリエイターに対して金を出さない
 しかし、それは、非クリエイターに対しても同じことなのである。

 即ち、クリエイターだけが迫害されているのではない。
 日本人全体が、長引く不況によるデフレマインドのせいで、自分達の首を絞めているだけなのだ。
 そこに、クリエイターも非クリエイターも関係がない。

 
 だからこそ、わざわざ「クリエイターだけが日本において正当な報酬が得られてない」と強調する言説を私は嫌悪する。
 それは、「ちょっとした小物作りをママ友に無料でせがまれた」といったミクロな事例に対しても同じだ。

 これらの言説は、彼らの思う「非クリエイティブな仕事」を見下し、「非クリエイティブな仕事」にはまともな報酬が支払われなくても良いと主張しているも同然だからだ。

 事実、彼らがよく引き合いに出す、「ディズニーやピクサーを筆頭に、クリエイターに正当な報酬が支払われる社会を形成した」というアメリカ合衆国の「非クリエイティブな仕事」に対する苛烈な扱いは、日本の比ではないからだ。

 
 要するに、「日本ではクリエイティブな仕事が不当に低く扱われている」と主張する人間の多くは、「非クリエイティブな仕事」がどうなろうとも無関心なのである。

 彼らのやっている行為は「労働者の分断」でしかなく、自身の持つ既得権益の強化を声高に要求しているに過ぎない。


 いま現在、我々のやるべきことは「クリエイターの地位向上」などではなく、「全労働者の地位向上」なのは明らかであろう。